東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9502号 判決 1969年5月30日
原告 岡武雄
右訴訟代理人弁護士 貝塚次郎
被告 株式会社三和銀行
右訴訟代理人弁護士 大林清春
同 藤井正博
同 池田達郎
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三〇万円及びこれに対する昭和四二年八月二七日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求めた。
二、原告訴訟代理人は、請求の原因として、
(一) 原告は訴外鈴木勝己(以下訴外鈴木という)に対し、さきに支払を拒絶された別紙第一目録記載の約束手形金三〇万円の手形金債権を有していた。
(二) 一方訴外鈴木は、右手形の支払を拒絶することによっての不渡処分を免れるため、社団法人東京銀行協会(以下単に手形交換所という)に提供する目的で被告に対し、右手形金三〇万円を預託し被告に対し右金三〇万円の預託金返還請求権(以下本件預託金返還請求権という)を有していた。
(三) そして、原告は前記約束手形金につき請求訴訟を提起し、仮執行の宣言のある給付判決を得、更に昭和四二年八月右判決正本に基き訴外鈴木の被告に対する預託金返還請求権の差押並びに転付命令を得、右命令正本は同年八月一八日被告に、同月二一日訴外鈴木にそれぞれ送達された。そこで、原告は被告に対し同年八月二六日右転付債権の支払を請求したが、被告はこれが支払をしない。
(四) よって、原告は被告に対し転付を受けた右預託金三〇万円及びこれに対する右請求の日の翌日である昭和四二年八月二七日から支払ずみに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べた。
三、被告訴訟代理人は、右答弁として、
(一) 原告主張の請求原因第(一)項の事実は不知。
(二) 同第(二)項の事実は認める。
(三) 同第(三)項の事実は、原告主張の命令正本の訴外鈴木に対する送達日は不知その余の事実は認める。
と述べ、抗弁として、
(一) 被告は昭和四二年三月一四日訴外鈴木と、訴外鈴木が手形の割引を受けた場合、同訴外人が仮差押、差押、もしくは競売の申請、又は破産、和議、及び会社整理の開始、もしくは会社更生手続開始の申立があったときは、全部の手形について、被告から通知、催告等がなくても当然手形面記載の金額による割引手形の買戻債務を負い、直ちに弁済することの約定書に基く手形割引、手形貸付等の銀行取引契約を締結し、同年五月一五日別紙第二目録記載の約束手形一通を割引き、拒絶証書作成義務免除の上、裏書譲渡を受けた。
(二) ところで、訴外鈴木は昭和四二年五月二二日株式会社埼玉銀行から同訴外人振出、被告を支払人とした金額四六万円、支払地東京都葛飾区、振出日昭和四二年五月六日なる小切手金債務により、同小切手についての預託金の仮差押を受け、該決定は昭和四二年五月二三日第三債務者たる被告に送達されたので、被告は昭和四二年五月二二日前記約定により訴外鈴木に対し別紙第二目録記載の約束手形につき額面金八四万六、九二六円の買戻請求権(以下本件手形買戻請求権という)を取得した。
(三) 訴外鈴木は昭和四二年八月四日別口不渡発生により銀行取引停止処分に付され、同七日別紙第一目録記載の手形に対する異議申立提供金は手形交換所から被告に返還され、同日本件預託金返還請求権の弁済期が到来した。
(四) 被告は前記手形買戻請求権を自働債権とし、本件預託金返還請求権を受働債権として昭和四二年一〇月三日付内容証明郵便にて転付債権者たる原告に対し対等額で相殺する旨の意思表示をなし、右郵便は同月四日原告に到達した。
従って、同日相殺により本件預託金返還請求権は消滅した。
(五) 仮に、第(二)項の仮差押により、本件買戻請求権が発生し、弁済期が到来していないとしても、原告は別紙第一目録記載の約束手形金を被担保債権として本件預託金返還請求権の仮差押をなし、同仮差押命令は昭和四二年六月一六日被告に送達されたので、右仮差押により本件預託金返還請求権の、弁済期が到来した以前において本件手形買戻請求権が発生し、その弁済期が到来してきているので前記相殺は原告に対抗しうる。
と述べた。
四、原告訴訟代理人は、右抗弁に対する答弁として、
(一) 被告主張の抗弁第(一)項の事実は不知。
(二) 同第(二)項の事実は、訴外鈴木が訴外銀行より、その主張の日時主張の如き仮差押を受け、その命令正本が被告主張の日時に被告に送達されたことは認めるが、本件手形買戻請求権の弁済期が同日到来したとの主張については争う。
すなわち、被告と訴外鈴木間の約定に言う仮差押は訴外鈴木の財産関係の不安定が仮差押等の処分のなされることにより外形的に具体化した場合を指すものであるところ、訴外銀行のなした右仮差押は訴外鈴木の小切手支払資金たる預託金についてなされたものであり、契約不履行を理由に小切手金の支払を拒絶したにつき、右預託金確保のため保全の手続をとったに過ぎず、通常の仮差押と異なり少くとも同訴外人の財産状態の悪化の外形的不安をもたらすものではない。そして又、被告としても右実質関係を知っているのであるから、前記約定に直ちに該当するものとは言えず、従って、被告主張の如く買戻請求権が発生し、直ちに弁済期が到来するものではない。
なお、右の事実は、被告において、買戻請求権の弁済期が到来したとする昭和四二年五月二二日以後においてもその支払を請求することなく、引続いて訴外鈴木と銀行取引をしていたことから明らかである。
(三) 同第(三)項の事実は、預託金返還請求権の弁済期が昭和四二年八月四日に到来したとの主張を争い、その余の事実を認める。
すなわち、預託金返還請求権は預託者において当該手形の不渡を甘受してその返還を請求すれば、被告においていつでも支払に応じなければならないものであって、預託の時から弁済期にあるものである。
(四) 同第(四)項の事実は預託金返還請求権が相殺により消滅したとの主張は争いその余の事実は認める。
(五) 同第(五)項の事実は争う。
すなわち、本件買戻請求権の発生は原告のなした本件仮差押当時未発生でありかつ、本件預託金返還請求権の弁済期の後に弁済期が到来するものであるから、被告のなした相殺の意思表示は原告に対抗できない。
(六) なお、本来預託金返還請求権は買戻請求権とは相殺を許されない債権である。すなわち、相殺を許すのは、相互に債権債務関係にある場合の相殺期待権の保護を目的とする。ところで預託金の性質は支払場所たる銀行が預託者から別に預託を受けて、手形交換所に対し異議提供金とするものであるから、銀行と銀行取引者との間の通常の取引関係から発生するものではなく、全く例外的に発生しかつ当事者間における預託契約上からみても銀行が手形交換所からその返還を受けたならば、そのまま預託者(転付債権者などを含む)に支払うべき性質のものであるから銀行としては相殺期待を欠くものである。又一方において、手形制度上から見ても、預託金は支払銀行の異議提供金とするためのもので、その性質上異議申立を受けた債権者、(特に所持人たる第三者)の手形上の債権を担保するためのものである。従って、これをそれ以前に発生した別の預託者と銀行の債権との相殺を許すことは、右異議申立の原因となった手形の所持人たる第三者の利益を害するものであって、相殺は許されない。
と述べた。
五、証拠<省略>。
理由
一、原告主張の請求原因第(二)及び第(三)項の事実(ただし第(三)項中差押並びに転付命令が訴外鈴木に送達された日時を除く)は当事者間に争いがなく、同第(一)項の事実並びに原告主張の如き差押並びに転付命令が原告主張の日時訴外鈴木に送達されたことは<証拠>により明らかにこれを認めることができる。右認定に反する証拠はない。
右事実によると、原告は被告に対し、その主張の如き転付債権を有していたことが認められる。
二、よって、次に被告の相殺の抗弁について判断する。
(一) 当裁判所の認定した事実。
(1) <証拠>を綜合すれば、被告主張の抗弁第(一)項の事実が認められる。
右認定に反する証拠はない。
(2) 又、同第(二)ないし第(五)項の事実(ただし本件手形買戻請求権、預託金返還請求権の履行期が被告主張のとおりであること、及び本件預託金返還請求権が相殺により消滅したとの主張を除く)は当事者間に争いがない。
(二) そこで先ず、本件手形買戻請求権について検討するに、前記認定の被告主張の抗弁第(一)及び第(二)項の事実を綜合すれば、当裁判所において有効と解する当事者間の約定により、本件手形買戻請求権は、被告主張のとおり、昭和四二年五月二二日発生し、直ちに弁済期が到来したことが認められる。(なお、右約定が差押債権者たる原告に対抗できるかどうかについては以下に詳述する。)
なお、訴外銀行の訴外鈴木に対する仮差押が原告主張のとおり支払を拒否した小切手に対する預託金を確保するためになされたものであること、争いなき被告主張の前記抗弁第(二)項の事実から明らかであるが、いやしくも仮差押がなされた以上、財産上の不安がないとは言い難いし、又証人若松一雄の証言によると、被告は右仮差押申立後も訴外鈴木と新しい手形割引をなしていることは認められるが、右の如き事実だけでは直ちに右仮差押が所謂被告と訴外鈴木間の約定に言う仮差押に該当しないものとは言い難く、結局、被告と訴外鈴木との間においてすら本件手形買戻請求権が発生しないと言う原告の主張は採用し難い。
(三) 次に本件預託金返還請求権の弁済期について検討する。
原告は預託金は普通預金と同じく請求があればいつでも返還に応じなければならないものであるから、預託の時から常に弁済期にあると主張するが、預託金は手形交換所に対する不渡異議申立提供金の提供の依頼に基き、金融機関が右提供金の預託を受けてこれを手形交換所に提供するものであるから、これを手形交換所に提供した場合には、別口不渡発生など、右提供金につき返還事由が生じこれが手形交換所から金融機関に返還されるまでは、金融機関は右預託金を預託者に返還する義務を負わないものと解される。
従って、前記争いのない被告主張の抗弁第(三)項の事実によると、本件預託金返還請求権の弁済期は昭和四二年八月七日に到来したものと認められる。
(四) 次に相殺の対抗力について検討する。
我が民法第五一一条は「支払ノ差止ヲ受ケタル第三債務者ハ其後ニ取得シタル債権ニ依リ相殺ヲ以テ差押債権者ニ対抗スルコトヲ得ス」と規定するのみで第三債務者が差押前に債権を取得している場合については直接規定していないが、同規定は反対債権を有する第三債務者の地位と差押の効力とを公平の理念に基いて調和を図ったものであるから、かかる立法趣旨に懲すれば、支払の差止め前に取得された債権についての相殺は少くともその弁済期が被差押債権の弁済期以前に到来する場合においては差押債権者に対抗しうるものと解される。けだし、被差押債権の弁済期が到来して差押債権者がその履行を請求し得る状態に達したときは、それ以前に自働債権の弁済期が到来しているのであるから、第三債務者は自己の債権により被差押債権と相殺できる関係にあり、かかる第三債務者は自己の反対債権をもってする将来の相殺に関する期待的利益を有するものであり、この利益は正当に保護されるべきものといわなければならないからである。ところで右の場合において自働債権の発生並びに弁済期の到来が、本来的なものであるかそれとも一定の客観的事実の発生にかからせる付帯約款に基くものであるかによって、右第三債務者の右利益の保護に差異を認めることは合理的根拠に乏しく、従って後者の場合に債権の発生、弁済期の到来が差押手続の開始等の事実の発生にかからしめるからと言って相殺の対抗力を否定しなければ差押債権者との関係において保護の均衡を失するとすべき理由もない。
従って、原告の右特約をもって原告に対抗しえないとする主張は採用し難い。
(五) 次に、原告は預託金は銀行と銀行取引者との間における通常の取引から発生するものではないし、又、預託金はその異議申立金を手形交換所に提供した金融機関が、将来手形交換所からその返還を受けたならば、そのまま預託者(又は転付債権者)に支払うとの約定のもとに預託されるものであって、第三債務者は右についての相殺期待権を有するものではないし、又、預託金は当該不渡手形の手形債権の担保のためのものであるからこれを他の債権との相殺における受働債権たり得ない旨主張するが、我が法制上特に右債権の担保のためのものとし、その余の相殺不適当な債権であるとする合理的根拠に乏しいし、又、前記説示のとおり、仮に受働債権が預託金返還請求権であっても、自働債権の弁済期到来後であれば必ずしも相殺期待権がないものとも言い難いし、預託契約もこれを相殺禁止の約定までも含むものだとは言えないので、原告の右相殺を許されない債権であるとの主張はいずれも採用し難い。
(六) 以上説示の理由に照して考察するに、本件預託金返還請求権の仮差押は昭和四二年六月一六日であるが、本件手形買戻請求権の発生並びに弁済期は昭和四二年五月二二日であり、預託金返還請求権の弁済期は昭和四二年八月七日であるから被告のなした同年一〇月四日の相殺は原告に対抗し得るものと言わなければならない。
従って、本件預託金返還請求権は昭和四二年一〇月四日相殺により消滅したと言うべきである。
三、よって、原告の本訴請求は、爾余の判断をするまでもなく理由がないのでこれを棄却する。<以下省略>。
(裁判官 三宅純一)